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歴代教授

年表 | 神経内科の変遷 | シンポジウム

初代神経内科教授 村井由之名誉教授

 村井由之教授は1959年に九州大学医学部を卒業後、九州大学第2内科に入局し、その後九州大学神経内科の創設に参加した。さらに九州大学神経内科講師、マイアミ大神経内科を経て、1978年に産業医科大学神経内科の初代教授に就任した。 当時開設したばかりの産業医科大学において、神経内科学教室の創設に尽力されるとともに、専門分野である神経生理学、特に神経伝導検査や針筋電図の研究ではわが国の草分け的存在であり、神経生理学手法による神経診断や臨床研究にも精力的に活動し、医局員や学生の教育及び指導にも情熱を注いだ。
 またスモン、一酸化炭素中毒や水俣病といった中毒性疾患の第一人者としても社会問題にもたすざわった。水俣病では水俣病認定審査会委員を務めた。


  病棟のクリスマス会の風景

 1995年からは産業医科大学病院副院長を務め、大学病院の運営や医療安全にも貢献し、1998年に産業医科大学を定年退職した。
 村井教授は音楽や楽器に造詣が深く、特にバイオリンやチェロは自身でも演奏し、病棟のクリスマス会では患者さん達にも演奏を披露することが恒例であった。
また産業医科大学管弦楽部を立ち上げ、長年顧問を務めるなど学生への恩恵も大きい。臨床や研究のみでなく、多彩な活動で産業医科大学への貢献は大きい。

第2代神経内科教授 辻貞俊名誉教授

 辻貞俊教授は1973年に九州大学医学部を卒業後、九州大学神経内科に入局し、その後は同神経内科助手、NIHグアム研究センター、クリーブランドクリニックを経て、1983年に産業医科大学神経内科に講師として赴任した。赴任後は専門である神経生理学、特に誘発電位や経頭蓋磁気刺激による脳機能や疾患の病態解明に関する研究を精力的に行った。
 1997年には村井由之教授の後任として教授に就任した。就任後はてんかん診療において我が国でもトップレベルの専門家として臨床、研究、後身の指導に情熱を注いだ。またてんかんガイドライン(日本神経学会編)の作成にも中心的な役割を担った。てんかんの社会的問題がとりだたされるなか、法務省および警察庁の委員会委員を努めた。
 教授の任期中には、国際誘発電位シンポジウム、日本神経治療学会学術総会、日本てんかん学会学術総会、日本神経生理学会学術総会を主催し、日本神経学会理事、日本臨床神経生理学会理事長を歴任するなど学際的活動にも積極的に貢献した。2010年には産業医科大学医学部長に就任し、産業医科大学の発展にも貢献した。産業医科大学神経内科に赴任してから2013年に産業医科大学を定年退職するまで、医師や学生の教育に携わった。

第3代神経内科教授 足立弘明教授

 2014年4月に産業医科大学神経内科教授に辻貞俊教授の後任として赴任した。現在の神経内科学講座では、昼夜教育、診療、研究に励んでおります。産業医科大学病院での診療は、脳卒中、神経変性疾患、神経感染症、自己免疫性神経疾患、神経筋接合部疾患、てんかん、摂食障害など多岐に渡る疾患の専門的な診断、治療を行っている。教育面でも特に臨床実習に力を入れ、学生には担当患者を診察し、問診から診断に至るまでの過程を十分に学習して、実際的な臨床の経験を積ませており、学生からの評価も高い。これらの系統講義やポリクリ、クリニカルクラークシップを通じて、脳神経内科・心療内科の疾患をわかりやすく講義することと実践的な実習に努めております。研究面は、神経変性疾患、炎症性神経疾患、てんかんなどそれぞれの専門分野での新しい診断法や治療法の開発を目指して努力しております。今後もご指導、ご鞭援のほどよろしくお願い申し上げます。