板井 孝壱郎先生に大学院講義を行っていただきました
「医療倫理の基礎と実践-倫理的推論のスキルを中心にー」のタイトルで、「倫理的感性(ethical sensitivity)」と「倫理的に考える力=倫理的推論(ethical reasoning)」のスキルを、主に終末期医療の事例を通じてお話いただきました。近年、伝統的な「医の倫理」をめぐる状況は大きく変貌し、生命科学研究や新薬開発、医師主導型臨床研究等における「研究倫理」の問題、そして終末期医療における延命治療の差し控え・中止や、遺伝子診断等をめぐる「臨床倫理」の重要性がますます注目されるようになっています。もはや、ただひたすらに「患者のために」というモラル意識や善意から、医療従事者が“粉骨砕身、懸命に身を捧ぐ”という姿勢だけでは対応しきれない「倫理的問題」が頻発しています。 公益財団法人日本医療機能評価機構による「病院機能評価3rd G」においても「研究倫理」だけでなく、「臨床倫理の問題を検討する場(≒臨床倫理委員会)」が設置されているか否かを問う評価項目があり、特に「第2領域 良質な医療の実践1」では「患者・家族の倫理的課題等を把握し、誠実に対応」しているか否かを評価する項目の「解説」では、「ともすると倫理の問題は特殊なケースと考えがちですが、医療行為が基本的に侵襲のあるものであることを考えれば、ことごとく倫理的な側面を持っているとも言えるものであり、意識的にその問題を考える組織風土が期待されます。数多くの患者さんがいれば、何らかの倫理的課題は存在するはずで、ひとたびその課題に気付いたのであれば、解決に向けた努力が求められる」と明記されています。 重要な法律や倫理ガイドラインの存在を認識せずに、「患者に善かれ」と思う“善意”からであったにしても、多職種で構成されたチームの介在しない、個人的な「独断・独善」によって、「思いやり」が「思い込み」に変貌したスタンド・プレーがなされるなら、それは重大インシデントとなります。こうした事態を「未然に防ぐ」という倫理コンサルテーションにおける「予防倫理(preventive ethics)」としての機能と、質の高い医療実践を担保する「安全管理(safety management)」としてのリスク・マネジメント業務は、極めて相関が高い組織的機能です。 神経難病の診療やがんゲノム医療の進展の中で、分子標的薬の適応拡大が図られる一方、限られた医療資源をどのように公平・公正に配分するのか、「未承認薬」や「適応外」、「禁忌」であっても患者の「最善のため」ならば倫理的には「正当化」されうるのか等、臨床現場は倫理的問題に溢れています。医療スタッフへの「倫理サポート」のシステム構築を伴った組織的対応がとられることなく、もし「倫理原則」だけが抽象的に振りかざされるならば、それは医療現場に混乱をもたらすだけでなく、倫理的感受性の高い現場スタッフがバーン・アウトしてしまいます。 臨床医として「価値観の多様性を尊重すべき」と頭では理解してはいても、いったいどこまでが「患者の権利」で、どこからが「患者の我儘」なのかさえも分からなくなってしまうほど「混沌」とした臨床現場の倫理問題にいかにアプローチすべきか、本講習では、その時に求められる「倫理的推論」のスキルをわかりやすく概説していただきました。 今後の診療の倫理的サポート体制の確立に役立つ内容で大変有意義な会となりました。今後の板井先生の益々のご活躍をお祈り申し上げます。